元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

「ロヒンギャ」とは一体どういった人々なのか

Rohingya refugees in the Nayapara camp

ビルマ(ミャンマー)の中には数は少ないですがイスラム教徒が居住しています。その中でも近年話題になるのが「ロヒンギャ」と呼ばれる人々。ビルマ語では「ロヒンジャ」というのですが、彼等は差別をされ人権侵害を受けています。それはなぜなのでしょうか?


ビルマという国家ができる前、一帯は多くの民族がより合いながら暮らす地域で仏教徒が大半を占めていました。そこに15,6世紀になると、現在のバングラデシュ・インド方面からイスラム教徒が流入してきました。それが現在ロヒンギャと呼ばれる人々です。

彼等は現在のバングラデシュとビルマの国境地帯を中心としてビルマに広がり、生活を送りました。元々ビルマ人の多くは仏教徒であったため、当時は多くの人々が抵抗感を抱いたはずです。


そして第二次世界大戦、イギリスと日本の支配の後、ビルマ連邦国家として独立を成し遂げます。それの中心人物だったのがアウンサンスーチーさんの父であるアウンサン将軍です。彼はビルマ国軍の創設者でもあり国民から今もなお英雄として尊敬されています。

その後暫くは民主的な政権が続いたのですが、1962年ネウィンが軍事クーデターを起こしビルマ独裁国家と化してしまいます。その後社会主義政権などを通じながら2012年まで軍が政治を支配する時代は続きました。(現在も軍による政治への影響は大きいですが、形式上は2012年に終わっています)

独裁政権によって言論の自由や人権などあらゆる自由がビルマから奪われ、社会主義によって経済は停滞し、欧米からも経済制裁を受けるようになりました。


当時は隣国中国から支援を受けていたために経済制裁の影響は少なかったと見る専門家もいますが、ビルマ政府への圧力になったことは確かです。ちなみに日本政府はこの制裁に参加せずODAを供与し続けたことで悪名高い存在となっています。

そして2012年に形式上の「民主化」が行われ、人々の自由はある程度緩和されるようになり、人々のロヒンギャへの対立感情が爆発した形となったのです。対立要因は様々な説が挙げられていますが、どうやら宗教の違いがその中でも特に大きいようです。


ビルマ人へのイスラム教徒への悪い印象が一部のビルマ人にロヒンギャに対する偏見を生み、過激派仏教徒ロヒンギャに対して攻撃を仕掛ける事態にまで発展しました。そしてその逆も多くありました。これにより16万人ともいわれるロヒンギャ難民が生まれ、隣国バングラデシュやタイ、マレーシアに亡命する人々が発生してしまいました。

かつてパキスタンアフガニスタンがそうであったように、ビルマ人という仏教国がイスラム教国になることをビルマ人は恐れ、なんとしてもロヒンギャを排除しようとしているのです。それは政府の政策にも反映され、「ふたりっ子政策」なるものまで出ています。これはロヒンギャに対して子どもを持つ際は2人までとするもので、ロヒンギャの人口減少を狙ったものです。


私はビルマという国がどういった方向に行くのかわかりませんが、少なくともこうした人権侵害を進行させることは国際社会が黙っているわけがありません。少なくともビルマという国を利する結果にはなりません。

今後ビルマがどこまで人権に対して「健全性」を持てるか、そのひとつの尺度にロヒンギャへの対応があるのかもしれません。