元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

「心のノート」よりもすべきこと


ところで皆さんはご存知だろうか。

日本は戦後GHQによる「愚民化政策」によって道徳教育が廃止され、日本人そのもののあり方がアメリカによって変えられてしまった背景がある。

戦前には「修身」という儒教的な思想を盛り込んだ教科書が全国の学校で使用されていたが、軍国主義的であるとの理由でGHQの占領統治政策によってなくなった。

そこで修身の変わりとなるものとして義務教育段階での道徳教育として「心のノート」が登場したというわけだ。しかし実態としては教育の場ではあまり活用されず、「無駄」批判が相次ぎ事業仕分けによって配布がなくなった背景がある。

しかし安倍政権が誕生し官僚よりの自民党が復活したことにより再び「心のノート」は蘇り、再び問題になっているのだ。


そこでそれについて民主党議員の蓮舫氏が以下のようなTweetをしていた。

ひとつ誤りを指摘しておくと「心のノート」は平成23年度分からは既に文部科学省のサイトでPDF配信がなされている。しかしこの文脈で読み取ると、彼女は「心のノート」をWeb配信一本化のことを指しているとも読み取れる。


確かに蓮舫議員の言っていることは正しい。私が受けた義務教育では「心のノート」が実践的に使われたことはなかったし、活用したとしても文字を読み込むような授業を受けた記憶は全くない。だから民主党政権事業仕分けで行ったことは間違っていたとは言えない。

しかしここで蓮舫氏が指摘していることにはズレを感じざるを得ない。なぜならここで議論しているのは「心のノート」ありきのことで、教師を含めたものとしての道徳教育のあり方については論じられていないからだ。

まずは冊子本体を配るかどうかよりも、義務教育で教師が如何にして道徳教育をすべきなのかの指針を作るべきだ。国家が教育に介入することほど危険なことはないが、物理的なもので指し示して無駄を発生させるよりはひとつの「手本」のようなものを提示していくべきだろう。

もちろん政府が道徳教育のあり方を決定し強制することはあってはならない。だから教育の場には政府の指針を強制することはせず、ガイドラインを提示するに留めるべきだ。ただ教育現場で活用されていないものを配り続けるのは愚かだとしかいいようがない。

もし政府が道徳教育を行わせたいのならば、道筋を示して教員達にそれを提案すべきだと感じる。教科書を配布して道徳教育を行った気になっているのは文部科学省の自己満足に過ぎず、それは現場の需要と合致していない非効率的な作業に過ぎないのだ。

<<画像引用>>
文部科学省 "道徳教育"


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