元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

「本当の幸せ」を求める生き方


「守り合い」の構造が日本社会では通用しています。原発の真実を言わない代わりに首を切らない。これが当たり前のように通用していました。それは東電のみならず、マスコミ、政治家も同様でした。

しかし労働組合などで団結を図ることはできるものの、必ずしもいつもそれを出きるとは限らないし、個別対応となれば「個人対トップ」の構造が必然的に出来上がります。特に複雑に絡み合った組織となれば、集団で統一見解を出すのは難しくなります。

福島原発事故により、そのシワ寄せが一気に大惨事へとつながりました。ここから私達が学ぶことのできる教訓は「保身をしてはいけない」「経済効率最優先はおかしい」といった表面的な事実だけではありません。

まずは「一介の生物として、人間とは何を求める生き物か?」。これを考えることが大事だと思うのです。

お金か?名誉か? 違います。幸せに生きることです。当たり前です。言語を理解する人ならば誰でもわかっていることです。しかし、人間は技術に押されて自らの存在をなくしてしまった。まさに「I,Robot」の世界です。

大げさな話ではありません。語っている事実は「I,Robot」の世界と現代では寸分たがわないのです。現実の延長線上にあの映画の世界があり、破滅が待っているかもしれない。私たちはそれを自覚する必要があります。

医療技術が発達し、先進国でどれか一つでも定職に付けばとりあえず飢え死にすることはない。そういった油断が我々を襲ってくるかもしれない。

原発事故に伴う放射能汚染だけではありません。私たちの身の回りには脅威がたくさんあります。喫煙によるガン、ファストフードによる体脂肪の増大、交通事故、未知の病・・・・。挙げればキリがありませんが、我々の周りにはまだ危険が多く残されていることを忘れてはいけません。

原発事故後、「放射能恐怖症」とも言われたように、ヒステリックなまでに放射能を避けようとする人々も現れました。怖がる文には良いでしょう。リスクに対しては常に警戒していることが望まれます。しかし、我々の脅威は放射能だけではない。それを忘れてはいないでしょうか?

先ほど述べたように「幸せに生きる」ためには、放射能だけに特化していてはいけないのです。そしてお金から得られない喜びを感じることも人間は思い出す必要があります。

貨幣の役割を否定しているのではありません。むしろ、お金の根源的な役割を思い出すべきだと言いたいのです。お金は幸せを買うことはできません。しかし橋渡役をすることはできます。

そんな根源的には橋渡し役の貨幣が、20,21世紀には、まるで「お金=幸福」とでも言うかのように、崇拝されました。拝金主義です。

陰謀好きの方の中には「貨幣経済をおかしな方向に導いたのはユダヤだ」という方もいらっしゃるかもしれません。ユダヤ人どころではありません。人類が目先の結果に囚われた結果起こったことなのです。

「本当の幸せは何か?」 これを常に意識することで短期眼的思考は和らぎます。単純です。しかし人間の欲望はそれを許さなかった。自制ができなかったのです。

去年の福島原発事故後、放射能が大量に拡散するとの報道がなされました。その時私の頭に脊髄反射的にひらめいたのは「Memento mori」の言葉です。大学受験で世界史を勉強された方はよくご存知かと思いますが、これはラテン語で「死を思え」を意味する言葉です。

ペストが流行した時によく使われた言葉です。詳しくはWikipediaなんかを見ていただければご理解いただけると思いますが、当時治療法がなかった(菌だとわかったのは随分後)ので、人々は自らに「死」の存在を言い聞かせることで、永遠に生きることはないということを常に意識していたのです。

語義上の厳密な意味は歴史学者の方に話を伺わないとわからないことですが、日本の「無常観」と似ています。

その「memento mori」が脳内に閃いた僕が最初に思ったことは「これからどのように生きるか」ということです。大袈裟かもしれませんが、これは「死への準備」と言っても過言ではないかもしれません。

いえ、別に遺言を書いたり、友人へ別れの言葉を述べたりしたわけではありません。精神的な問題です。これは奇妙に思えるかもしれませんが、この行動はとても重要な意味を持つようになりました。

常に「いつ死ぬかわからない」という覚悟をすることで、「何が幸せか」を心の中で反芻するようになり、日々それを繰り返すことで自然と本能的にその道が見えてくるような気がします。「次に何をすれば良いのか」を自分の中で見通せるようになるのです。

亡くなったAppleのCEOのSteve Jobsはガンだと医者に宣告され、毎朝鏡の前で「今日が人生最後の日だとしても、供する予定のことをしたいか」と自分に向かっていうようになったいいます。これがその「死の覚悟」だと言えます。

つまり常に「memento mori」を脳内再生することで、無駄を排除できる。したいことができる時間が自然と増えていくのだと思います。あるいはそうでなくても、生活の中のひとつひとつのことが大変意義深く思えてくると思うのです。

そして、無駄の排除は環境保護にもつながってきます。もちろんそんな単純ではないかもしれませんが、我々の生活がどれだけムダなもので構成されているかを考えれば、今までより地球に優しくなるのは明白なはずです。

この延長線上に以前述べた「スマート・ライフ」が実現するわけです。→http://t.co/RD62VJIK どれだけシンプルになれるか。Simple is the best.まさにこの言葉こそ我々のスローガンとするべき精神です。

大量生産と大量消費。これを繰り返してきた人類の歴史を反省し、身の回りから努力してみませんか?