元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

「Globalism」という言葉の怪しさ

globalism

そもそも「Globalism」とは何なのか? 「Globe」とは「球」、派生して「地球」という意味を持っています。つまり「地球化」、世界が一体となっている状態を表します。ニュースなどでは「経済のグローバル化」などというように使われます。

冷戦が終結し、東西交流が始まり、民主国家で多く産出された大衆文化は次々に東欧に広がり始めました。映画や音楽、ポルノまで。現在の日本の繁華街にあるものは大抵戦後のアメリカの「愚民化政策」によって入ってきたものですが、そういったものがヨーロッパ全体で享受されるようになりました。

そこにコンピューター、続いてインターネットの登場により情報・文化の交流はますます活発化し、「グローバリズム」を推し進めました。物理的移動に加え、「ソフト」の移動が始まったのです。

先進国はそれ以来大量生産大量消費の文化を強固に築き上げ、現代の消費スタイルの基盤を生み出しました。もちろんそれらはコストが下げられ、安くなっています。そういった製品を私たちは何の違和感もなく消費しています。

代表的なのが100円ショップです。Made in Chinaの製品は安いためユニクロダイソーをはじめ、多くの企業によって現地生産が行われました。

しかし、それらの製品はなぜ100円に抑えられているのでしょうか?現地の物価だけが問題ではありません。中国だけではありません。東南アジア、アフリカ・・・・。価格が抑えられた分の対価を彼らが代償しているという事実を忘れてはなりません。

グローバリズム」とは、先進国が裕福な暮らしをし、発展途上国にそのツケを払わされることなのでしょうか?確かにお金の流れはグローバルですが、よく言われるところの「地球全体がグローバリズム恩恵を受け・・・」なんていうのはおまじないに過ぎないのです。

グローバリズム」という言葉を使うことで、あたかも全世界が同じ基準で動いているかのような錯覚に陥ってしまいます。そうすることで被害の実態を意図しないまま無視してしまうことになります。

よく中学校・高校で行われるところの「能力別クラス」と同じです。成績の同じような人を集めることで、授業の効率を高めることが出来ますが、人間関係を効率で語ることはできません。

確かに学校は勉強するところであることに異論はありませんが、人と人との交流がもっとあってもいい。それは休み時間だけじゃなくて勉強している時も同じ。色んな人がいて、色んな価値観があることを学べる環境を大人が積極的につくっていかないと、子供は全体が見えないまま大人になってしまう。

脱線したので話を元に戻します。自分と同じ構造しか視界に入らないことで、もっと違うものが現実にはあることを体感できないのです。それは春に行った沖縄の西にある慶良間諸島のうちの一つ、渡嘉敷島でよく実感しました。

僕は生まれてからと言うものずっと都会で育ったので、恥ずかしながらも都心部以外の場所に行ったことはあまりありません。特にビルが視界に入らない場所に行った経験はほとんどありませんでしたから、尚更のものでした。

渡嘉敷島については「アゴラ」で書いたので割愛しますが、とにかく都会人にとって渡嘉敷島は魅力にあふれていました。時間に追われることなく、自分で時間を管理できる環境がそこにはありました。

このように、ひとつの環境しか目に入っていないと、他の環境での「常識」と折り合わない部分が必ず出てきます。それはそれで面白いから良いですが、いつまでもそういうわけにはいかない。自分の周りを見て、常に穴を埋めていく作業をする。これは人生を通じてずっとやっていきたいことです。

そのような自分の立ち位置しか見えていない状況が進むと、発展途上国への「ツケ」を実感しないままこの消費スタイルが続いてしまうのかもしれません。

そういった意味では、グローバリズムがどうして現在「進んでいる」といえるのか、僕にはわかりません。地球規模で被害者を作り出しているという意味では確かに「Global」かもしれませんが。

私達は100円ショップで製品を買い、大用品として一時しのぎをすることがよくありますが、生産国では「一時」にはなっていないケースがよくあります。工場の経営者がコンプライアンスを理解していないで工場排水を河に垂れ流したり、あるいは児童を強制労働したり。

もちろんそれらのケースが全てであるとは言いません。しかしあったということは事実として受け止めなければなりません。NikeAppleも、やっていた。そして今も地球のどこかで。

グローバリズムの言葉が指し示すような、地球規模で利益を享受できるようなシステムを作り出すにはどうすれば良いのか。それはまずどちらか一方が一報に譲歩する必要があります。好き勝手をやっていられるのも、今のうちかも。

グローバリズム」の実態とは何か。これは今後も探っていく必要のあるテーマです。しかしながら、その言葉が人々に与える印象とは裏腹に、私たちの見えないところでは収奪が行われていることを常に頭の片隅にいれながら消費活動をしていくことが求められてきます。

地球の一箇所でも外国によって権利が奪われている国があれば、それはグローバリズムが完成したとはいえません。南北格差が大きく開き、北半球のみが貿易・経済交流意よる恩恵を受けている現代ではグローバリズムはまだまだ初歩の初歩です。

しかしながら、TPPの議論を見ていると、グローバリズムが必ずしも良いとはいえません。植民地主義後の新たな収奪システムを創りだしたのもグローバリズムにほかなりません。統一をするということは他の何かの要素を排除することを伴います。必ずしもではありません。

必ずしもではありませんが、実際に現在地球上で恐ろしい速さで進んでいるということを念頭に置いておく必要があります。