元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

グローバルな視点を持つには、日本の教育改革は不可欠

Fighting poverty in Kenya

ただ単にボーッとして買い物をするのではなくて、「誰が一番儲けているか」を考えるだけで、消費のスタイルは随分変わってきます。

例えば、マクドナルドや100円ショップで買い物をした時。どうしてあれだけ安価な商品を作り出せるのか、手を止めて一考してみる。発展途上国の環境を破壊し、現地の住民をどれだけ苦しめているのか?想像できますね。

「持つ者(haves)」である我々先進国に済む人々は、グローバリズムを常に考慮しながら消費活動をすることが今後ますます求められてきます。一杯のコーヒーのためにどれだけの児童が学校にいけなくなっているか。考えるだけでも世界はおのずと良い方向に導かれていきます。

こういったことを繰り返していくうちに世界全体の搾取構造は崩れていくような気がします。もちろん単純な問題ではありません。しかし現代、特に日本ではそういった議論があまりにも少なすぎます。

スターバックスフェアトレード・コーヒーで満足せずに、もっと範囲を広げて考えることが求められてきます。こういったことを考える機会は義務教育にはありません。皆無です。強いて言えば世界史でしょうか。「アフリカ・東南アジアはヨーロッパ列強の植民地支配下にあった」 これだけですね。

これだけの少ない情報から、どのように世界全体を考えるのか。私には甚だ疑問でなりません。

こういった学校教育の空洞が起こるのは、Ken Robinson氏が指摘する(http://see.sc/96ioBr)ように「失敗を否定する」教育が義務教育全体をかき混ぜてしまっているのではないかと思います。

多様な考え方を許容せず、教科書通りの考え方をベースにすることを極度に好むこの国の教育構造は違和感があります。主体性のある生徒でなければ息が詰まる様な教育がなされている。そしてこの流れは「大学ありき」の方向へも導かれてしまいます。

しかし、別の見方をすることも可能です。(これは多くの反対意見が寄せられそうですが)それは文科省からのメッセージです。「義務教育とは人間が生きていくために最低限のことを教えているまでだ。本当に大事な部分は義務教育ではできない。君たちが自分で切り開いていくんだ。」というものです。

自分で書いていて馬鹿馬鹿しくなってきたので、この説の展開はやめておきましょう。それほど日本の教育とは未熟な部分が多すぎるということです。

そしてもうひとつ日本の教育を「大学ありき」にしてしまっているもうひとつの理由は予備校の存在も関係しています。異常なまでに有名大学の優越性をプロパガンダして、まるで偏差値が高ければその分だけ人生は成功するなんていう風に思い込ませている。

大学のことを深く知らない中高生は特にそのメッセージを間に受けやすい。そうやって「とりあえず有名大学に入ればそれでok」なんていう短絡的な考え方が生まれてしまう。これは非常に悲しい事です。

大事なのは東大か京大かではない。早稲田か慶應かではない。自分がいかに現代に対して問題意識を持てるか、ということです。

「主体性を持つ」 これが最も重要なことであって、どのような道を辿ってきたかではない。そう思います。