TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

ジャーナリズムの進展

Roger Snapper, Vietnam 1968

最近10年でインターネットのカタチは大きく変化しました。

アメリカが冷戦終了を機にインターネットの技術を民需にし開放、Windows 98の登場に始まるInternet ExplorerNetscape Navigatorといった初期Web Browserの普及が大きな役割を果たし、その後インターネットの可能性に目覚めた人々は次々にそれを情報発信の手段として利用し始め、このような「情報化社会」が醸成されてきました。

報道各社もインターネットの果たす役割を認識し、インターネットにサイトを開き、実験的にではあるが新聞に掲載した記事を公開するようになりました。
そして現在のように多くの記事がインターネットで読めるようになると、個人メディアとの実力の差は歴然とし、いかに彼らが偏った報道、すなわち自主検閲にまみれた利益主導型の報道しかしていないかが露呈されるようにもなりました。

アメリカでは余りにも多くの記事を公開しすぎたために新聞の発行部数を自ら減らすことになり、サイトの閲覧を有料にすることに踏み切った会社もあるほどです。

新聞という紙媒体からインターネットに主軸は移動し、アメリカの地方都市では新聞の発行部数が減少し廃刊に追い込まれる事態まで発生しました。
そして広告主も紙媒体に魅力を感じなくなり、インターネットに対して広告料を支払う方を望むようになっています。

さらには、紙媒体ではなくインターネット上に拠点を持つ「Slate」のようなインターネットメディアも登場し始めました。

インターネットメディアの大きな特徴はベースが企業・団体だけにとどまらないことにあります。
Blogに始まりTwitterUstreamFacebook...と次々に生まれる発信手段は一人一人の人間の可能性を最大限に押し広げ、これまで社会に埋れていた少数意見が次々に世間の注目を集めるようになりました。

インターネットが起こした革命はそれだけではありません。

WikiLeaksが登場し、アフガニスタンに駐留するアメリカ軍の無人ヘリが市民やCNNの記者を無差別に銃撃する映像が流出したかと思えば、アメリカ外交公電が一気に世界に公開され、それまでの「夢の国」の妄想はことごとく崩さりました。

WikiLeaksが起こした一連の機密情報の開示によって、紙面やテレビ画面では見ることができない「お国事情」が世界に露呈しました。
今までは関係者の保身のために暗部が隠されきた企業の内部情報なども、創設者のジュリアン・アサンジによって、洪水のように一気に世界に流れました。

インターネット黎明期から今にわたって懸念され続けてきた「情報の漏洩」がついに国家規模で起こったのです。

当然不利益を被った国々はこれを許すはずもなく、ジュリアン・アサンジ強姦罪で起訴し身柄を拘束しましたが、マイケル・ムーアらの資金提供者によって保釈金が支払われ自由の身になりました。
※現在はスウェーデンへの引き渡しの是非をめぐる審理が結審したばかりで、移送の是非は未だに決定していません。

このように、情報を掻き分ける能力さえ持てば、自分にとって一番興味のある情報を自由に引き出せるようになった21世紀は、ジャーナリズムの歴史に大きな痕跡を残すことになると思われます。
1000年後の人々が教科書を作ったら「インターネットは人類の最も輝かしい発明のうちのひとつ」と紹介されるかもしれません。

実際にインターネットは民衆を結びつけ、遠距離に離れた人同士の間接的な交流を可能にし、政治変革・政権の交代まで生み出しうる、どの武器よりも強力な道具として、巨大な存在になっています。
インターネットを否定することはもはやできません。

イランの総選挙に対する抗議デモにしろ、チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発する「アラブの春」にしろ、どれもSMS、FacebookTwitterといった個人個人を結びつけるインターネット・テクノロジー無しには実現しなかったことで、時代の移り変わりを強く我々の目に焼き付けるものでした。道具は変われど、いつの世も人間の求めるものはひとつ、情報なのです。

世界は常に変わり続け、動いていています。それを見ずに、どう日本を変えようというのでしょう。
世界に目を向けずに日本を変えようなど、被写体を見ずに写真を撮れというようなものです。

過去の歴史に学ばずに、いきなり行動を起こそうとしてもそれはやったことにしかならなく、何の結果も得ることはできません。

周囲に惑わされない「勇ましさ」こそ、我々日本人にもう一度求められる武士道なのではないでしょうか。

改革の精神があるだけで、物事は変動の可能性を十分に持ち始めるのです。

情報は受身になるのではなく、自ら利用することによって初めてその価値が生まれるのです。
それを自覚して我々はマスメディアと向かい合っていくべきでしょう。