TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

スマートな暮らしを始めよう

Bud

スマートフォンスマートハウスなど「スマート」は時代を表す言葉になりつつあります。これは「無駄がない」という意味を表す形容詞ですが、これは日々の生活でも実践すべきことなのではないでしょうか。

ゴミの焼却灰埋め立て問題に始まり、排気ガスによる大気汚染、海洋汚染など、多くの無駄から生ずる弊害を挙げることができます。私が提唱したい暮らし方とは、つまりこういった外部に悪影響を与える要因をできるだけ排除した生活様式を目指そうというものです。環境問題が提起されてきてから叫ばれてきた「エコロジー」の考え方と大体同じかと思われるかもしれませんが、私が強く主張したいのは、生活の中の行動一つ一つにおいて、その意義を深く考えてみるということです。

普段バスや自転車で通っていた最寄り駅までの道を徒歩で歩いてみる。すると、普段は眼に見えていなかった情景が見えてきます。思っていたより多い自動車の交通違反、近くを流れる河川の汚染・・・・。特に気にせずに見過ごしていたことが大きな問題を孕んでいると気がつくことができます。地球温暖化や政治の衰退など、大きな問題に注目するのはもちろん重要ですが、そういった日常生活の中の「小さな大問題」にも目を向ける視点はとても重要です。

話を元に戻しましょう。自分の生活の中の必要でないものをなるべく排除していくことで、世間に対する新たな視点が芽生えてきます。通勤時間に日経新聞を読み会社の業績を上げることよりも、そういった社会の問題点に目を向け、議論を提起していくほうがよっぽど社会に貢献できると思うのです。

今、自分がしていることは本当に重要か?こういった思考作業を行うことで、無駄の排除された生活を行うことができます。もちろん娯楽の時間を減らせというわけではありません。それは「今」のために役だっているのですから。そうではなくて私が言いたいのは、ひとつひとつの行動を見直すことで、新たな時間が創出され、付加価値を生み出すことができるということです。

この考え方が重点を置いているのは、どれだけ充実した暮らしをするか、という生活の質です。無駄を省くことによって生ずる金銭的利益の発生は目的ではありません。あくまでそれは副産物に過ぎません。ですので、スローライフの考え方とも違います。物質的に物事を考えず、あくまで精神的充足を目的としているところに大きな違いがあると言えます。これをスローライフの対する語として「スマートライフ」と名付けてみましょう。

具体的に言うと、3・11を機に大規模化した脱原発世論。この考え方もスマートライフのうちのひとつと位置づけることが可能です。原発の発電コストは他の発電方法よりも圧倒的に低く効率が良いです。しかしそれは数字上のもので、実際はどうかというと作業員を常に被曝の危険に晒し、放射能漏れという大災害のリスクを内側に抱えなければなりません。戦後の原発行政は経済効率を優先したために人名を軽視し、原発を推し進めました。そこにさらに国と電力会社の慣れ合いの関係が出来上がり監視機能が弱まったことで、安全よりも自分たちの懐の方を気にするようになりました。原発ではなくても、少しお金をかければ人間に害のない方法で発電する方法はいくらでもあるのです。

このように経済を優先したケースは日本だけでなく、アメリカにも当てはめることができます。トルーマン大統領は核兵器の世界拡散を効率良く行うために、平和利用目的という建前で原子力技術を世界に輸出しました。この中には当然日本も含まれていて、東芝読売新聞社正力松太郎氏の力により、最終的には54基もの原発が稼働する国が出来上がりました。経済効率の優先が危険を及ぼした例は原発事故だけではありません。リーマンショックに端を発する世界同時金融危機です。日本では公害事件を挙げることができます。

このように、経済効率に注目して推進した政策の結末には恐ろしい結果が待っているのです。これは義務教育できちんと習うことなのにもかかわらず、人間は一度お金を持つようになると、そればかりを追いかけ、本当に大事なものをおそろかにしてしまう。これが人間の欲望という恐ろしい物の末路です。

経済最優先ではなく、人間が生きやすい社会を作っていく。これは我々人間が生まれ持ってきた義務ということもできます。これこそまさに今回の震災で磨耗されてしまった「キズナ」という言葉の本来の意味なのではないでしょうか。