TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

フィリピンの結婚事情裏話 (1) 日本人×フィリピン人の国際結婚のケース


突然ですが「日本の中でのフィリピン」といえば、何を思い浮かべるでしょうか?

おそらく「フィリピンパブ」と答える人が多いことでしょう。繁華街に行けば「フィリピンパブ」の文字を目にすることは時折あります。もちろんそれだけではなく上野に行けばフィリピン人の街があり、フィリピンの中にも昔は日本人街が形成されていた場所はありました。

今は少ないようですが、80年代・90年代には「興行ビザ」といって芸能をしに日本に来る外国人に向けて多くのビザが発行されており、それを利用してフィリピンから多くのダンサー・歌手が日本に来ていました。現在も多くのフィリピン人が日本で働いていますが、日本政府が興行ビザの発行に消極的になったこともあり数は減っているようです。

その日本にやってきたフィリピン人達が働く先は多くが夜の街だったようです。男性は歌手、女性は歌手やバーでの店員として働き、ある人は反社会的勢力に巻き込まれて風俗の仕事をせざるを得なくなってしまった人々もいます。そのような人たちは「ジャパゆきさん」と呼ばれ、フィリピンでもそのまま「ジャパゆきさん」と呼ばれています。

夜仕事を終え疲れた男性達は癒やしを求めて夜の街へ繰り出します。その中でフィリピンパブに通い続けた人の中には中で働くフィリピーナ(フィリピン人女性のこと)と恋に落ち、そのまま国際結婚するケースもあります。

私が実際に知っている男性のケースを紹介します。

彼は日本人女性と離婚後、子供に会えなくなったショックでフィリピンパブに毎日通い続け、そこで出会ったフィリピーナと恋に落ち結婚しました。退職とほぼ同時に首都マニラに引っ越し、現在も暮らしています。

彼女と再婚後は子供がひとりでき、現在は女性側の連れ子と4人で暮らしています。男性は日本語しか話せないので、家では当然日本語のみ。女性はタガログ語、英語、日本語を話すことが出来ます。女性の連れ子は当然純粋なフィリピン人であるのでタガログ語と英語しか話せません。

再婚後にできたお子さんは「ジャピノイ」と呼ばれるハーフになり二人によって育てられたため、日本語・タガログ語・英語の三ヶ国語を流暢に話すことが出来ます。

全ての日本人がそうとは限りませんが、少なくとも中高年の方の国際結婚のケースでは、フィリピンパブでの出会いがきっかけとなって結婚するケースが多いようです。

上で紹介した男性は私のホームステイ先からお宅が近いことも有り何度かお宅に招待して頂き、ご飯をご馳走になったこともあります。いつも明るくてとてもフレンドリーな方です。

上で書いたようにその方は日本語しか話せないため、マニラでの友達といえば主に日本人が多いようですが、日本人の中には色々なケースでフィリピン人と関わっている人がいることを伺いました。例えば家に住んで働いていた65歳のメイドさんに恋に落ちてしまった60歳の男性の話、80歳になってもなおフィリピーナ探しに余念がないしょうもない人・・・。世界に出れば色々な人がいるものです。

外側から見えるのはどうであれ、周りに迷惑をかけなく幸せに生きれればそれで良いと思うのですがそうもいかない日本人も少なくないようです。そういった話をきくと、同じマニラに住む日本人として恥ずかしくなってしまいます。