TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

今さら訊けない:ミャンマーの「アウンサンスーチー」さんってどんな人? (1/2)

皆さんはミャンマーと聞いて何を思い浮かべますか?ミャンマーの中で一番有名な人物と言えば、アウンサンスーチーさんです。

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この写真を見て「あ!」とわかった方もいらっしゃるかもしれません。そう、ミャンマーはアウンサンスーチーさんの母国なのです。彼女についての説明はあとに回すとして、まずは基本的なミャンマーに関することから説明していきます。


まず「ミャンマーってどこだ?」という方もいらっしゃるかもしれません。まずはそこから説明をしようと思います。

ミャンマーは以前まで「ビルマ」と呼ばれていた、正式名称ミャンマー連邦共和国(the Republic of the Union of Myanmar)のことです。1989年に名称が変わりました。

2011年3月には軍事政権の政治が終わり「民主化」をしました。その影響で外国による経済制裁が徐々に解除されていき、それまで閉鎖的だった国が開かれていくようになりました。

それにより外国からの投資や外国人の観光も以前に比べて行いやすくなりました。その影響で日本でも「アジア最後のフロンティア」と呼ばれるように、アジア中での投資先として注目されているのです。

私は今回の旅でミャンマーに3週間滞在をし主要な観光地を周り多くの現地人とも触れ合ってきました。今後そういった話題を多く取り上げながら、ミャンマーについてより多くの人に知ってもらい、観光をして頂ければと思います。

では最初に紹介したアウンサンスーチーさんとは一体どのような人物なのでしょうか?

彼女はミャンマーの独立の父と呼ばれるアウンサン将軍(General Aung San)の娘です。アウンサン将軍はミャンマーが独立する際に日本軍・イギリス軍と戦った英雄として尊敬されている人物です。

彼は太平洋戦争後、独立のために宗主国であるイギリスと交渉をしていましたが政敵に暗殺されます。その後彼の意志を受け継いだ首相が現れるものの、政治に失敗。その後は長らく軍事政権による支配が続きます。

軍はアウンサン将軍によって作られたためある程度の信頼をされていた時期もあったようですが、軍事政権の政策に反対する人を次々に虐殺・拷問にかけていきました。その結果国民の怒りが爆発し、1988年に巨大なデモが国中で起こります。国民は通りで非暴力の平和なデモを行っていたにも関わらず、軍人達は鎮圧のために無実の民衆に銃口を向けそのまま射撃をしたのです。

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▲軍隊によるデモ隊への銃撃によって負傷した女性を運び込む男性たち。

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その時アウンサンスーチーさんはイギリスで勉強をしていたのですがちょうど彼女の母であるキンチー(Khin Kyi)が当時の首都ヤンゴンで倒れたため、ヤンゴンの病院に看病に行っていました。

そこでヤンゴンに戻った彼女が見たのは、軍事政権に対して多くの国民が反発し声をあげるも次々に弾圧されていく姿でした。さらにアウンサンスーチーの帰国をしった人々は彼女に「建国の父の娘として」軍事政権に対して立ち上がるよう請願をします。

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初めは渋っていたようですが次第に意志を固めた彼女は政党「国民民主連盟(NLD/National League for Democracy)」を立ち上げて、軍事政権に対して立ち上がったのです。その運動は軍事政権によって妨害されたり多くの逮捕者・犠牲者を出しましたが、運動の努力が世界に認められ、彼女は1991年にノーベル平和賞を受賞します。


>> 続く