TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

他人事

本日は震災から1年ということで、各局は競うように「鎮魂」「キズナ」を訴えて、テレビ局は特番を組んで放送しています。私は彼らを見ていて対岸の火事を見ているかのような言葉を吐き続けるアナウンサーを見ていられなくなり、テレビの前からラップトップの前に身を移し、この記事を書いています。

彼らが盛んに訴える「キズナ」は、本日の朝日新聞朝刊「天声人語」にあったように、「磨耗された言葉」となってしまい、もはやその価値はなく使い捨てのようになってしまいました。

震災後、福島第一原発放射能漏れの実態が次第に明らかになり、住民が次々に県外へ避難を始めると、報道各局も拠点を移しました。もちろん、当初彼らが拠点としていた場所は当時から安全と言われていた場所で、住民たちも品な場所として使っていた場所の近くにありました。それなのにもかかわらず、風評被害を抑え公正・客観的な報道をするべき存在であるメディア各局は、次々に移動し外部からの報道を行うようになりました。

それを知った住民の声は悲しみに満ちたものでした。「自分たちは安全だと報道しながら、どうして逃げるのか」。

もちろん新聞にはそのことは掲載されていませんでしたが、Twitterを通じて広まった現地の住民のマスメディアに対する思いは「裏切られた」という感情に満ちていました。

それだけではありません。原発を「クリーンなエネルギー」として政府のプロパガンダを無批判に放送したのも彼らでした。それを顧みずに、原発事故が明るみに出ると途端に身を翻して、あたかも自分たちはそれまで無冠液であったかのように「原発はいけない」と報道し始めました。政府と東電を真犯人として祀り上げることで自分たちマスメディアの罪をなすりつけようとしていたのでしょう。

世論形成をする存在として「第三の権力」とも呼ばれるマスメディアが客観報道を怠り、原発行政へと世論を導いていったのは紛れも無い事実です。彼らが今後どのように自らの姿勢を変えていくのか、今後の日本が大きく左右されてくるでしょう。

Remove all ads