TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

原発問題を再考してみる(2) ~両派に着地点はあるのか~ #原発

Nuclear Powerplant Z. (AT)

そして、火力発電と自然エネルギーのリスクに囚われ、原発の発電コストの安さのみに執着していれば、そのうち再び大規模な事故が発生してしまうかもしれない。

ここから私が分析するのは、推進派・反対派共に「その先」が見えていないこと。これをやったらこんな良いことがある、あれをしたらあんなことになる。そこまでは言うけれども、その先に何が起こるのか実態を考えていない。

物事には必ず両面があるのに、リスクヘッジができていないのだ。さらに、推進派・反対派共に主張の交差点が見えないことにも大きな問題がある。互いに原発の長所・短所を言い合っているだけで、各々の正当性を主張できていないし、そこに至るまで成熟されていない。

確かに、原発への大規模な反対運動が起こったのは今回の福島第一原発事故後が初だったから仕方がないのも無理はない。しかし、双方で議論ができるほどのレベルにまで至っていないのは議論の歴史以前に、国民自体の問題なのではないだろうか。

反原発派に対して抱いている疑問が2つある。1つ目は、彼らは東電原発のどちらが嫌いなのかということ。福島第一原発事故原発が内在している危険性を改めて露呈することになったが、その原因のひとつとして東電の杜撰な管理体制がある。

事故前にも、多くの点検報告書が改竄されていたり、安全対策を怠っていたことがわかったり、事故後にも線量計の装着を徹底させていなかったことが発覚した。それに対して国民は憤り、防ぐことのできる事故を起こすに至った東電を責めた。その一方で、かねてから原発の危険性を主張していた大江健三郎氏、広瀬隆氏などの著名人に同調する人々も多くいた。今回の反対運動ではその2者は混在する形となったといえる。

もちろん、実際にデモ会場に行くと彼らは「原発反対」「再稼働反対」などのシュプレヒコールを叫んでいるが、それは結果に過ぎず、中には東電への反発感情によって突き動かされている人も少なくないだろう。感情論だけでデモをしていても結果には結びつきにくいし、論的と戦うことはできないだろう。

しかしそういった人々が今後増えてしまうと、政治的関心が高まったせっかくの運動も自壊してしまうことになる。そして2つ目は、原発を停止した際に発生する経済的な打撃を考慮しているのかということ。

いくら放射線から健康を守るためとはいえ、電力料金の値上げによって労働者が解雇され、生活が立ち行かなくなってしまえば、矛盾も甚だしいところで、そこの点を彼らは考えた上で主張をしているのか疑問だ。