元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

原発問題を再考してみる(3) ~推進派と反対派の落ち度~ #原発

Concrete Plant LP (AT)

推進派にしても、科学データに基いて導き出された解をひたすら豪語しているのみで、説得力に欠けている点は否めない。被曝しても低線量だからと安全だとされていた劣化ウラン弾が使用された結果、現地では奇形児が増え白血病患者の数が10倍になったという。

データではなく、実際の状況に基づいて裏付けられた主張がないのも推進派の特徴であるが、このために説得力を欠き、無責任な主張になっているのが現実だ。

そもそも、推進派・反対派の主張の論拠を比べてみるとわかりやすいが、明らかに反対派の方が理論は明快でわかりやすい。細胞分裂が盛んな子どもにとって放射線は危険、半減期が膨大に長い放射性物質が撒き散らされれば地球は機能不全になる等など。

一方、推進派は経済的な理由や代替エネルギーの技術の未発達を主として挙げるのだが、論拠として挙げるものが素人には理解に時間を要するものが少なくないため、とっつきにくい印象がある。

そのため、理論が簡潔でわかりやすい反対派に多くの人々が集まり、17万人(※)のデモ隊が国会を包囲するに至ったのではないだろうか。 ※デモを主催した首都圏反原発連合による発表。

もちろん、チェルノブイリ事故による莫大な犠牲を日本も経験するのはうんざりだという、ごく単純な理由ももちろんあるだろう。しかしこの「放射能性悪説」はLNT仮説(閾値無し仮説)が正しい場合のみに有効になる。

このLNT仮説とは、広島・長崎などのデータから導き出されたもので、年間被曝線量がいくら低くてもそれを危険とするべきというもの。しかし実際には100mSv以下ならば、発癌リスクの上昇は見られないとされているが、低線量被曝についての情報は乏しいためどれだけ危険性が低いのかはわからない。

よって予防原則に則って、行政でLNT仮説を適用することになった。また、同じ線量を浴びるにしても一度に大量に浴びるか、何回かに分けて浴びるかによってもリスクは大きく変わってくるため、状況によってその都度考慮する必要性が出てくる。

ちなみに、ICRP(国際放射線防護委員会)は放射線管理には使うべきだが、既に起こった事故についてはLNT仮説を適用すべきではないとしているため、100mSv以下の被曝ならば問題ないとして福島第一原発事故の被害はそれほど甚大ではないとする海外メディア・学者も少なくない。しかもLNT仮説については最近の多くの論文で否定されており、信憑性は決して高いとはいえないという。

このように情報を整理していくと、現在のメインストリームである原発に関する議論・運動が如何に単純な思考によって行われているかがよくわかる。それは推進派・反対派両方に言えることだ。

もちろん、これは日本の中の一例に過ぎないが、現代日本の発展途上性を証明するには十分だ。このように、目先の問題ばかりにとらわれ、長期的な目で国の姿を負えなくなると筆者が指摘したように、運動は本来目指したような成熟を見ずに自壊する。

投票率が7割行っただけで小躍りするようなこの国で、これだけ社会運動が盛り上がったちというのに、そもそもの主張が脆すぎる。私は彼らの運動を見ているうちにそのように感じるに至った。これでは勿体無すぎる。

しかしながら彼らに改善の様子は見られず、自分がその運動に参加している事実に酔ってしまい、物事の本質を見抜けなくなってしまうのではないかと危惧している。これがこの国の現実だ。しかし諦めてはいけない。思考作業を止めず議論を換気し続けることにこそ、この国を救う鍵はある。それを信じ、がむしゃらに取り組んでいくことこそ現代人に求められていることなのだ。