TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

国を自分を、正しく評価するということ

先日も小田実さんの世界放浪記『何でも見てやろう』を紹介したのですが、今回は日本人が日本という国をどのように捉えれば良いのかというヒントをご紹介したいと思います。


ひたすら自己否定に走ることでこの国を評価しようとする人が多い中で、小田実さんは自己肯定によって日本を奮い立たせる必要があると述べています。こういった傾向には日本の教育もかなり影響を与えているのかなと思いますが、どうなのでしょうか。

としたら、われわれにできることは、またしもしなければならぬことは、先ず自分の位置を、たとえそいつがわれわれ自信にとっても起きに召さぬものであったとしても(たしかに、そうであろうが)、だから日本はダメです、われわれはアカンのです、というふうに否定的に持っていくのではなくて、それを、とにかくわれわれはここにいる、よかれあしかれここから出発する、ここから以外は出発するところがないのだ、というふうに肯定的に捉えることではないのか。

日本人的な謙虚さなのか、果たして否定的に捉えることでモチベーションを上げようとしているだけなのか、どちらなのかはわかりませんがこういった言説はよく耳にします。否定的に捉えて「よし、がんばろう」という人は本当に精神的に強い人か物事を楽観的に判断することが出来る人です。状況を冷静に判断し落ち着いて行動する人や悲観的な言葉に弱い人はそういったことを言われると同時にやる気がなくなってしまうかもしれない。

しかし肯定的な言葉なら誰しもが自分の可能性に気が付き、新しいことを始められるかもしれない。それと同じように肯定的な言葉で我々の国を捉えることで、また新たな日本の可能性が見えてくるように私は思うのです。いくら自分の国を過大評価したくはないからといって否定的に捉える必要はないのです。日本は十分なほど稀に見ない発展を遂げ進歩してきたのですから、それを真正面に評価すべきだと思うのです。

どうして、われわれは、われわれがたとえ手先の器用さと模倣の才と勤勉さだけしかもっていないにしても(それだけでも、私はたいしたことだと思うが)、ただそれだけの理由で、こんなにまで自分自身を痛めつけ、アホウのように泣いてみせる必要があるのか。どうして、たとえばそれらの三つのものを、前進のための貴重なエネルギーと考えることはできないのか。われわれが明治以来ここまでとにかく来たのには、たしかに、その三つのものが前向きのエネルギーとして大きく作用していたのだろう。としたら、これからも、それがそうでなくなる理由は、どこにもないのではないか。

これは日本という国だけでなく、自分の評価にしても同じ事が言えると思います。Facebookで友人がこのように投稿していました。
私には~することしかできない」的な発言はよく聞く。自分なりに何かを頑張っているのは素敵だし、いいと思うけど、それだけに限定してしまうのって勿体ない気がしちゃう。あることに頑張っている誰かが他のとこでも何かやろうとするなかで、新しいものが生まれるんじゃないかな。今って。

私自身もこのような発言は時折してしまうのですが、自分を正確に評価することって大事だなと思います。必要以上に謙遜しないでも、自分の良いところはきちんと認め、外に発信していく。そうすることでまた新たな出会いも生まれるでしょうし可能性も再発見できると思うのです。

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小田 実
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