元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

地方再生の観点から原発運動を考える

Nuclear Power Plant - Callaway County, MO_PB150392

今、地方再生のために本当になすべきことは何かと考えると、それは東京から地方に向けてコンテンツの輸出をすることではない。ただ単に畑に種を蒔きに行くのではなく、自生させることが必要なのだ。だから地方にマクドナルドやスターバックスを作っても、雇用を生み出すだけで地方の特色を最大限に引き出すための方法にはなり得ない。短いスパンでの利益しか見えていないと、長期に渡る利益の享受は不可能だ。この国ですべきことは如何に地方の独自のコンテンツを再興し、日本中が「自営」できるように準備をするかに掛かっている。行き過ぎた中央集権によってもたらされた弊害は挙げればキリがない。それは全て歴史が証明してくれている。

2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけとして発生した福島第一原発の事故を受けて注目されたのが、電源三法交付金。これは日本の各地にできるだけ多くの原発を建設するためにできた法律で、原発の建設を認めた自治体にお金の援助をするというもの。原発は一度事故が起これば多くの放射線を周囲にばら撒く恐れがあるため、基本的に自治体は原発を設置したがらない。

しかし、都市への人口流出などにより労働力が減り、それに伴い企業が撤退し、財政が立ち行かなくなってしまうあるいはそれに近い状態になる自治体が多くある。国はそういった所に目をつけ、お金と引換えに原発の設置を求めていたのだ。原発が建設されれば、作業員として多くの労働需要が発生し、地元民の収入源が確保される。さらに交付金が下りてくるから街全体が潤い、活性化される。そうなれば再び街に企業が戻り、以前の姿を取り戻すというわけだ。事故後、これに対しては「弱者を食う構造」として多くの批判が広がった。

もう一歩話を進めてみよう。もし国のエネルギー政策の転換によって原発廃炉が決定し、電力会社が撤退したらどうなるか。従業員は解雇され、路頭に迷うことになる。街は元気をなくし、寂れていく。これが現実だ。しかし、脱原発派はそこに注目しない。ひたすら放射能から命を守ることのみに執着し、柔軟な思考ができていない。確かに、廃炉によって事故の際に広がる放射能汚染から命を守ることはできるだろうが、地元民の雇用はどうなるのか。そこまでを考えず、目先のことしか考えられていない。最初から最後まで論理的に優越性が裏付けられてこそ、脱原発の主張というものは出来上がるのではないだろうか。

あともう一つ、推進派がひたすら問題にする火力発電・自然エネルギーのコストについてについて考えたい。現在日本で一番依存度が高いのは火力発電だ。原発を再稼働せず、火力発電所を更に建設し稼働すれば、石油の輸入コストは増し、日本経済が立ち行かなくなると言われている。さらに、電力料金が高くなり続ければ、日本の産業はどれだけやられてしまうのか。また自然エネルギーに関しては、今の技術水準で自然エネルギーでの発電を増やせば、莫大な投資が必要になるとされている。確かに彼らの指摘は現実的だし、間違ってはいないだろう。しかし、石油の輸入を抑えるために新たな技術を開発したり、天然資源を追い求めようとする考えはないのか。

現在は日本近海に多く眠っているとされるシェールガスメタンハイドレートが大いに注目されているが、そういった新しいものに対して大いに議論しようとする土壌を生み出せないのか。そこが大いに疑問だ。確かにシェールガスは採掘する際に化学物質を使用するため海洋汚染をする点や断層から採掘するため地震を誘発するとの指摘もあるが、そういったことすら堂々と議論されていない現状をどうにかすることはできないのか。そういった将来のことまで考えて行かないと、推進派の主張は骨抜きになっていく。そして、火力発電と自然エネルギーのリスクに囚われ、原発の発電コストの安さのみに執着していれば、そのうち再び大規模な事故が発生してしまうかもしれない。

さらに「核のゴミ」の処理問題もある。日本の場合、12年間で487億円もの出費をしながらも未だに処分場が決まっていない状況だ(朝日新聞 2012年9月2日1面)。海洋投棄は国際条約で禁止されているし、地中に埋めたとしても、100万年後に処分場がそのままであるかどうかの確証はない。特に日本の場合、どこで地震が起きてもおかしくない状態のため、安全である信憑性は高くはない。原発によるエネルギー効率を考えるのも良いが、その前に「その後」をどうするかについて深く考えるのも重要だ。もんじゅや六ケ所村再処理工場の安全性が担保されていない状況で、被害を最小限に留め国民を納得させる必要がある。

あともうひとつ、報道からは見えてこない福島の放射能汚染の実態を推進派は過小評価し過ぎている点だ。現在でも福島第一原発から放射性物質は出続けており、健康被害は止んでいない。それにもかかわらず、事故は収束したなどという政府の発表を盲信した人々が原発の非危険性を主張するようにもなっている。報道から見える放射能汚染は氷山の一角に過ぎず、実際には多くの警察官の死亡や、宮城県に避難した途端に症状が改善した子どもの話など、見えてこない部分の方がはるかに多いのが実態だ。買収して情報を出さないようにしているとの説も上がるほど、現地の状態はひた隠しにされている。この点も考慮した上で原発の進退について考えるべきだと思う。

ここから私が分析するのは、推進派・反対派共に「その先」が見えていないこと。これをやったらこんな良いことがある、あれをしたらあんなことになる。そこまでは言うけれども、その先に何が起こるのか実態を考えていない。物事には必ず両面があるのに、リスクヘッジができていないのだ。さらに、推進派・反対派共に主張の交差点が見えないことにも大きな問題がある。互いに原発の長所・短所を言い合っているだけで、各々の正当性を主張できていないし、そこに至るまで成熟されていない。確かに、原発への大規模な反対運動が起こったのは今回の福島第一原発事故後が初だったから仕方がないのも無理はない。しかし、双方で議論ができるほどのレベルにまで至っていないのは議論の歴史以前に、国民自体の問題なのではないだろうか。

そして、原発事故による放射能汚染に注目するばかりに、他の脅威を軽視するようにもなっているのが現実だ。放射能だけでなくても、喫煙、携帯電話から出る微弱電波による健康被害遺伝子組み換え作物、保存料を多く使った食品の摂取、糖尿病等・・・。防ごうと思えば簡単に予防することができるものに我々は日常的に接しており、それがまた我々の身を危険に晒しているのだ。それにもかかわらず、原発事故後、あたかも現代社会に転がる唯一の問題が放射能であるかのような報道・思い込みが拡がってしまった。

確かに放射能は人類によって重大な脅威であることに違いはないが、我々が自ら気をつけることによって防げることはたくさんある。放射能は一度ばら撒かれるとそう簡単に被曝を防げるものではないが、上に挙げたことはどれも予防が可能なものばかりだ。これらの脅威を予め防ぐことによって、身を守ることが可能だ。むしろ放射能を避けることよりも簡単なのは明らかだ。多くの人々にはそういった視点がないために、矛盾を引き起こし、余計な神経をすり減らしている。

放射能で飲料水が汚染されたためにコーラを大量に買い込んだ人々も少なからずいたようだが、彼らなどはその最たるものだろう。コーラを飲むことによって、どれだけの糖分が体に摂取され、健康を害していることか彼らは考えないのだろうか?それでも飲料水を拒否し、健康を自らの手で悪化させるのだろうか?私には不思議でならない。