TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

外聞を気にしない国を目指そう

2009-02-06 Sea Shepherd crew throw bottles of rotten butter at Yushin Maru No 3

この国を腐らせているのは外聞を気にしすぎる国民性にあるのかもしれない。領土問題や捕鯨問題など他国との議論が特に重要になってくる話題に於いて、ナショナリズムが高まってしまうあまり、日本の姿勢が外国から見られ方に過敏になってしまっている。

例えば、環境NGO「Green Peace」のメンバーが作った海洋生物保護団体「Sea Shepherd」が外洋で日本の捕鯨船に対して妨害行動をとった際には、ひたすら「日本文化の尊重」が謳われ正当性が主張された。マスメディアがそれに便乗して煽ったこともあり、議論は終着地点が見えないまま消えてしまったが、これは解決しなければならない問題だ。

こういった議論はナショナリズムを高ぶらせやすいため冷静な議論が求められる。ではどのようにすればこの問題は解決できるのか?まずは外国からどう思われているかを気にしない事だ。そして対外イメージではなく、国益を最大限に重視して行なっていく必要がある。

もちろん、国益が重要とはいえ日本一国の利益だけを考えるのではなく、なるべく多くの国が最大限の恩恵を受ける・あるいは最小限の被害で済む解決策を導き出さなければならない。捕鯨問題の場合、主に捕鯨推進国である日本側は「日本文化を守るため」と主張し、反対である国際社会・環境NGOは「クジラを保護するため」としている。主張としてどちらもあながち間違ってはいないようであるが、咬み合っておらず議論を交わすことは不可能だ。

日本側の主張する「文化」だが、果たして調査は日本の文化なのか?捕鯨は文化だとしても調査がメインの「調査捕鯨」は文化ではないはず。調査捕鯨という名目に乗っかって捕鯨を行いたいだけではないのか?そして国際社会からの反対に抗ってでも行うこと日本の「強さ」を見せつけたいだけではないのか?孤立して責められる国を演出することで世界の同情を貰いたいだけではないのかそこをよく考えなければならない。

そして国際社会・環境NGOの主張である「生態保護」。元々、捕鯨反対運動は、ベトナム戦争での枯葉剤使用で国際的非難を受けていたアメリカ政府が、目をそらさせるために着手した「官製運動」だ。本来の狙いはクジラの保護ではなく、アメリカのイメージ回復にあった。下地に動物保護の思想がない運動をどのように正当化できるのか疑問だ。

しかも、彼らはクジラが哺乳類で「知的動物」であることも理由に挙げている。賢い動物は優遇し、家畜のような「無能」な動物は食べて良いのか?そこの違いがよくわからないのだが、推進派にしても反対派にしても主張の論拠が不十分で双方の意見が全く噛み合っていないのが現状だ。

人間の文化と動物の生態のどちらが重要かというのは人類の永遠のテーマであるが、その2つを比較して優劣をつけるのは現実的な対策ではない。私はTwitter(@Watalogy)で何度か触れたが、捕鯨問題は我々がクジラを食べることによる影響そのものに重点を置いて考えるべきだ。

例えば、スーパーマーケットに出回っているクジラやイルカの肉には基準値を大幅に上回る水銀が含まれており、人体に悪影響を及ぼす。だからクジラは食べるべきではない。多くの人々がクジラを食べなくなれば、自然と調査捕鯨の需要も減っていくだろうし、続けていく必要はなくなる。

また食糧や燃料、鉱山資源の多くを海外に頼る日本が自衛していくためには、外国となるべく衝突は避けなければならない。そう考えると、クジラを捕るか捕らないかくらいで外国と火花を散らすのはあまりにも賢い選択ではない。ましてや中国の脅威もあることを考えると、対話の道を模索しながら、解決したほうが良いのは火を見るよりも明らかだ。

中国は東シナ海の地層に眠る資源を求めて領土を主張し、漁船を侵入させ正当化しようとしている。これに呼応して2012年9月11日、日本政府は尖閣諸島を20億5000万円で国有化した。元々は石原慎太郎東京都知事が購入を主張し始めたことをきっかけに尖閣諸島の領土問題に再び注目が集まった。そして中国国内では日系企業・商店・スーパーマーケットを中心として、暴徒に襲われ被害を被った。

この問題でも捕鯨問題と同様に、日中でナショナリズムが高揚し手の付けられない状態になった。中国に関しては、共産党への不満を逸らさせるためのガス抜きとしても機能し、政府が強硬に鎮圧しなかったこともありデモ・暴動は長く続いたが、大運動にまでは発展せず、反日感情が反政府感情に切り替わってから直後にデモを収束させることに成功している。代わりに中国版Twitterの「微博(Weibo)」には多くの反政府メッセージが目立っていた。

しかし一方で日本は領土問題に対して、資源の確保という本来の目的ではなく、対外イメージの向上を狙って行なっているようにも見える。なぜなら資源を確保したいならば、領土を国有化するまでもなく採掘を始めてもおかしくないわけで、その順序が逆転しているからだ。ここで起こっている問題は、どちらが正当性のある主張をしているかの判断ではない。単純に言語の問題であると私は分析する。

このようにしてみると、日本の政治には対外イメージを気にした政策が目立つことがよくわかる。本当に重要なことは外見ではなく、国民の生活水準を向上させる政治にある。内政のための外交が、外交のための内政に変化している現状を直視せずにはこの事態の解決は不可能だ。

しかし、こういった政策は対外イメージを向上させるどころか、ナショナリズムを煽る結果になってしまった。ナショナリズムを高揚させることは確かに国民を結束させることができるが、国際政治におぴてはそれは邪道だ。他国との関係をひたすら考えなければならない時代において、他国からの非難を強調することで、自国民の不満を海外に向けさせようとするのは支持が得られなくなった政治の逃げ道に過ぎない。

それを防ぐためには政治がボトムアップするしかないが、そもそも民主国家において政治の選択肢を決定するのは我々有権者だ。有権者が知見を持ち、内外にとって最も有益な政治家を選ぶ事ができるように正しい判断をする必要がある。

そうなれば他の国を巻き込むのではなく、国内向けの政策によって国際的イメージを高めて行く国が出来上がっていくだろう。そのためには我々有権者の努力が第一に必要なのだ。