元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

日本国民に「放射性物質を拡散させた責任」はあるか #原発

鉄腕アトム

「日本国民は愚かにも東電・政府に騙され原発を抱え、世界に放射性物質を拡散させてしまった。こんな国の人々が生意気にも世界に反原発を訴える権利などあるのか・・?」

こんな考え方が次第に広がってしまう気がしてなりません。実際にそういった主張をネット上で見かけることがあります。そこで今回は、日本国民の責任について考察してみようと思います。

戦後、アメリカはアイゼンハウアー大統領主導によるプロジェクト「Atoms for Peace」により、「核の輸出」を正当化させるために、世界各国に原発の建設を促しました。これが「核の平和利用」の言葉が使われるようになったきっかけです。

皮肉にも、実際の本音は平和利用どころか軍事利用を目的としたものだったのです。実際、かつて日本政府内でも核武装が検討されていたことが村田良平氏の証言によって明らかになっています。(NHKスペシャル「核を求めた日本」2010/1-/3放映)

そして、アメリカが大好きな日本はそれに同調し、読売新聞社正力松太郎氏らが音頭をとり、GE設計の原発を日本に導入し、東芝・三菱などの企業が建造に関わりました。福島第一原発柏崎刈羽原発東芝によって作られました。

国策によって進められた原発の建設はやがて産官学による原子力村を作り出し、その結果、アーニー・ガンダーセン氏や共産党の吉見英勝議員によって予め警告されていた事態が原発事故という形で起こってしまったのです。

確かに、それらのプロセスに国民が関わっていたかというと、ゼロではありません。民主主義である以上、原発を国内に建設することに賛成した国会議員を選出したのは私達日本人であるのは紛れも無い事実です。

国会が可決したことに対しては、どれだけ不条理なことであっても、「国民から選ばれている議員によってなされているから問題ない」と反論されれば、道徳を問題にしなければ反論の余地はありません。現にナチス・ドイツは、民主的プロセスを経てワイマール共和国を恐怖政治の国に変えていったのです。

しかし、彼らが原発を推進した時に、国民の本音は考慮されていたか。人間としての尊厳を守ろうとする考えは彼らの脳内にあったのか。これは民主主義とかそれ以前の問題です。

経済効率(つまりカネ)に目が眩み、人間としての「本来のあり方」を無視した決定を行っている時点で、もはや民主主義が機能しているとは言えません。たしかに、「人間はどうあるべきか」なんていうのは哲学者に任せておけば良い議論ですが、「死にたいですか」と訊かれて、肯定意見を述べる人なんて過半数はいないでしょう?その時点で民主主義は機能していないのです。

当時、原発の危険性を国会議員が全く知らなかったら話は別です。しかし、日本は2度も原爆を経験し、その危険性を十分すぎるくらいに認識しています。それにもかかわらず、原発を受け入れた。狂気の沙汰という他ありません。

ですから、民主主義が機能していたように見えて、実際は機能していなかった状態で原発の推進が国策となってしまったと言えるのです。では、日本が原発を推進した責任は国民にあるというのでしょうか?増して、世界に訴える権利がないと言えるのでしょうか?原発の危険性を訴えないでどう人類を救おうというのでしょう?

過ちを経験した者は、他でも二度と同じことが繰り返されないように教えるのが義務です。本来ならば日本政府と東電がその役割を担うべき存在です。しかし現在彼らは再稼働へと路線を戻そうとしています。さらに、ベトナムなど海外にも発注を予定しており、同じ過ちを再び起こす結果になりかねません。国民が訴え続けることが今重要なのです。

黙ること無く、世界に真実を伝える。かつての日本国民と同じような状態になっている国々に、一秒でも早く真実を届ける。これが日本人のできる最大限の世界への貢献なのではないでしょうか。