TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

社会構造と年功序列から現代日本を考える

Do not stop working.....

皆さん若者は、年長者と平等に扱われた経験が多いだろうか?

そんなこと考えたことも無いかもしれない。無理もない、日本社会は構造そのものが年功序列で構成されているからだ。

児童労働問題や子どもへの扱いを人権問題の側面から見るように国際社会が変化し、法的に子どもの地位は保証されるようにはなったが、実際には構造としての「扱いの違い」はなくなっていると言えるだろうか。

まず一般的に日本人で若者とは何歳くらいの人々の事を指すのだろうか。

若者という言葉が使われる場合、それは悪いものの代名詞として使われる場合がある。例えば「最近の若者は礼儀がなっていない」「漢字をまともに書けない若者が多過ぎる」などというように。

こういった事例をみてみると、社会との接触の数が多いかどうかで若者というものの価値が決められている場合が多いことがわかる。つまり社会人になっている人々は若者に含まれる。一般的に多くの大学生は22〜24歳の間で大学を卒業するから、おそらく若者というのは大学を卒業して社会人になって数年経った20代後半まで含まれると判断して良いかもしれない。

ここで私は便宜的に20代後半までを若者として定義した。では何歳以上が若者と言えるのか。

「最近の若者はいつも殆ど携帯電話を持っている」のように中学生・高校生が含まれるような使い方をすることがあるように、若者をどのように定義するかは使われる文脈によってだいぶ変わってくる事が分かる。そこでここでは便宜的に若者の定義を中学生・高校生以上20代後半以下としておきたいと思う。

このようにみてみると、若者とはつまり保護者の束縛から部分的に独立しながらも完全には自立できていない状況にある世代を指すのかもしれない。自立できていないから社会人としての礼儀を身につけていなかったり、上の世代から疎まれるようなものを流行として行っているのかもしれない。

もちろんそれについて善し悪しの判断をすることは不可能だが、他者にある程度依存しているが故に自分たちの好きな事をすることができるのだろう。

なぜならもし仮に何らかの存在に依存している状況にあれば、思うように自分を自由の身に置いておく事はできずに、ある程度他者(この場年長者が多いだろうが)の視線というものを気にしなければならなくなる。それは自分を良いように扱ってもらおうと従ったり、孤独に陥ることを防ぐために何らかの方策を講じる必要があるからだ。

このような点から部分的に他者に依存せざるを得ない状況にあるのが若者として定義することができるだろう。

では本題に戻ろうと思う。

日本における若者はあらゆる面で「違った扱い」を受けている。

例えば経験が少ない事を理由に意見が尊重されなかったり、まともに請け合ってもらえなかったり。これは極めて抽象的な概念であるが故に例を示すのは難しいことである。しかし日本社会は構造的にそうであることは日本に住んでいればわかることだ。

特に組織の中では序列を付ける必要性が生まれることが多いためにこういったことは起こりやすい。

何かひとつの話題について議論をする時には特にそうだろう。

優劣を付けられるどころか議論すら汲み取ってもらえない状況がある。若い人々は大人の事情を知らないからこそ、理想主義的な概念を掲げて大人に対して意見を主張するが、「お前らは何もわかっちゃいない」で一蹴されてしまう。

こんなことは自分の身の回りにも良くある事だと思う。

確かに社会人になる前あるいはなったばかりの若者は社会の仕組みをよくわかっていないから、高い目標ばかりを掲げてしまうかもしれない。

しかしながら若者は本来のあるべき姿を掲げているのには違いが無い。あらゆる障壁や原因によって当たり前の理念が妥協に持ち込まれ、軽視されてしまう。それを大人は「仕方が無い」で済ませてしまうことがなんと多い事か。

例えば、これまで世界中では第一次世界大戦第二次世界大戦のみならず、ベトナム戦争湾岸戦争、最近ではイラク戦争など多くの争いが起こり、人間が死んできた。

人を傷つけてはいけない。人が嫌がることをしてはいけない。そんなことは基本中の基本だ。憲法にだって書いてある事だ。

しかし政治の世界では「外交上やむをえない」として当たり前の事が大人の事情で反故にされてしまう。

2011年に起きたアラブの春Occupy Wall Street運動だって若者が当たり前のことを掲げて起こした運動だ。元々アラブの春チュニジアで青果店を営んでいた失業中の青年が警察に取り締まりを受け焼身自殺をしたことがきっかけで発生したものだ。

それをきっかけに日頃溜まっていた国民の不満が爆発し、一ヶ月も断たないうちに市民がベン・アリ政権を打倒したことをきっかけに周辺地域に広がったものだ。

リビア、エジプト、スーダンバーレーンなどのアラブ諸国にデモの火が飛んで行ったので「アラブの春」と呼ばれた。

これはアメリカでもOccupy Wall Street運動として発生した。

この運動は国民の1%が国の富の多くを握っているとして、若者らが中心となってWall Street(ウォール街)を占拠して政財界に99%の国民の主張を届けようというものだ。

これらの運動は機動隊によって強制的に排除され運動は比較的短期間で終わってしまったが、カナダで大学の授業料値上げに怒った大学生によって行われた「メープル革命」を誘発するなど世界に大きな影響を及ぼした。

日本でも反貧困運動としてOccupy運動は引き継がれ、反原発運動と呼応した社会運動にまで成長した。

少し前の事例を挙げればベトナム戦争の際にCNNの報道がきっかけとなって多くの若者が通りに繰り出して反戦運動を形作ったことはあまりにも有名だ。その際にはJohn Lennonの「Imagine」が歌われ、Billy Joelによって「Goodnight Saigon」が作られた。

音楽にも歌われる程にまで運動は拡大したのであった。それはただ単なる平和運動ではなく、政府への正義の主張だったとも言えるだろう。

これらの運動をみていると、別にデモ隊(多くは若者)は別に間違った事を主張しているわけではない。社会の不正義、格差、平和など正しい概念を主張している。それ以上でもなければそれ以下でもない、単純で分かりやすいメッセージと言える。

当然のようにこれらの運動は始めは若者が騒ぎたいだけだろうと一蹴されるが、規模が拡大するに従って様々な社会階層や世代の人々をも舞い込み国民運動にまで育て上げて行く事もある。つまり「若者の騒ぎ」ではなくなるのだ。

こうした社会運動は長続きすることもあればそうではないこともあるが、いずれにしても後世に大きな影響を及ぼす事が大きい。

ベトナム反戦運動の際には戦争を集結させることに成功したし、Occupy運動は格差是正の主張をワシントンに送り込んだ。これらは始めは若者によって始められたものだ。

これは海外の事例だから日本には当てはまらないと主張するひともいるかもしれない。

では反原発運動はどうだろうか。

確かに60年安保闘争の世代も多く運動に参加していたのは確かだが日常的に活動に加わって運動を指揮していたのは若者も多くいる事は疑い用の無い事実だ。ソーシャルメディアを駆使して人員を動員し、人の潜在的な思想をえぐり出し社会運動にまで成長させる。それを成し遂げたのは若い世代なのだ。

こういった当たり前のことを当たり前のように主張できる若者は日本社会では今までは軽視されてきた。経験が少なかったり社会的地位が低いからという理由だけで意見を取り上げられてこなかった。

確かにそれは間違ってはいないが、本来的な正義を主張できるのは若者なのだ。行動力がありつまずいてもつまずいても何度も訴えて行く事ができるのは若者なのだ。

こういったことに鑑みて、日本社会は若者をもっと積極的に組織の中で取り入れて行く考えが必要だ。今まで新しい世代の考えを深く考えずに軽視してきたしわ寄せが現代社会のひずみに現れているのは間違いが無い。経験・知識ももちろん重要だが、正しいことを主張できるのは若者の力あってこそだろう。

社会構造を見る上で若者は大きな役割を果たしているのだから、社会全体のやり方として若者に注目する方向に人々の意識が動いていくことを願う。2014年がそれのきっかけになる年になるようにひとりひとりが意識をかえていくひつようがあります