元マニラ住人の青年のブログ

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

結局「意識の高い学生」って何?

こんにちは。

昨日、自称「他称意識の高い学生」牧田さんが語る「意識の高さ」とは? - 『 ihayato.書店』よりを書いた所、ご本人から反応を得られました。



う〜ん、厳しい評価。アルバイトやインターンで積極的に行動していくのは確かに彼が言うように自分のためになりますね。それはとても感じます。まず自己評価が変わる。

自分は割りと調子に乗るタイプなのですが、社会経験を様々な団体を通じて得ていくうちに自分の甘さや社会はそう簡単に何でも動くわけではないのだなということをよく感じました。とはいってもこんなことを書いている辺り、まだ認識は甘いのだと思います。

では「意識の高い学生」とは一体どのようなひとのことを指すのでしょうか?

予めここで言葉の定義をするために前提条件を考えてみようと思います。まず「意識の高さ」は他人からは見えない

つまりどれだけ高い志や自分の将来像を掲げていたとしても、それは他人にはっきりとわかるものではないということです。勿論そういったことを話題にしたり発言する機会があれば自分の未来の姿を語ることはできます。

しかしながら言葉だけでは考えていること全てを忠実に洗わうことはできません。その人の考えていることが全てそのまま言葉にできたらそれはスゴいことです。しかしどれだけ弁が立つ人でも、言葉を理解させることはできても考えを安全に忠実に再現することはなかなか難しい。

ではどのように「意識の高さ」を証明するのでしょうか?

それは行動力です。一般的に意識が高いといわれる人には人並み外れな行動力があります。世間的には学生の身分でどれだけ他人と違った行動を取り、それが社会的に有益・ありは認められているかが判断基準とされます。

逆にいえば、いくら考えていることが豊かでもそこに行動が伴わなければ世間からの評価を得ることは難しいわけです。「不言実行」といわれるように、他人に発言をすることなく最終的には実行が伴わなければ意味がないのです。つまり行動が必要不可欠と。

しかし現実的にはそこまでできる人は限られています。一般的にアルバイトで大学生活を埋め尽くしている人が「意識が高い」と認識されることはありませんから、すなわちそれはその人が関わっている企業・NGOインターンであったりボランティア活動の種類・頻度などによって評価がなされるわけです。

一般的な多くの大学生はアルバイトをしています。ですからそれ以外にも時間を割くとなると、必ずどこかでその時間を譲らなければならないことになります。友達と遊びに行く時間であったり家でゆっくりする時間もそうです。つまりそれなりにある程度の代償が発生するわけです。これは当然です。

ですから大学の勉強が必然的に忙しくなる理系、主に医系学生は行動をすることが文系学生よりも遥かに難しいわけです。そうなると「意識が高い」学生は文系に集中するという現象が起こります。悲しいことにそれは実際にそうであると思います。

私は多くの学生団体に知り合いがいますが、理系の学生は極端に少ないです。せいぜい1割くらいと言えるでしょう。彼等は自分の勉強とそうした外部の活動を両立させながら努力しているのです。これはしかたがないことですが、理系学生にとってはいくら望んで大学に進学したとはいえ、悲しいものがあるといいます。フラストレーションが溜まっていくのもよくわかります。

ではこのように考えると、一般的にいわれている「意識が高い学生」は全ての「意識が高い学生」をカバーしているのか?となります。意識と行動は必ずしも結びつかないがゆえに、なかなか難しい言葉だとは思いませんか?