TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

自称「他称意識の高い学生」牧田さんが語る「意識の高さ」とは? - 『 ihayato.書店』より

こんにちは。

イケダハヤトさんのブログ 『ihayato.書店』で立教大学の学生さん・牧田凌平さんが「意識の高さ」について寄稿をされていたので、大学生の「意識」とは何かを考えてみようと思います。

彼は自称「他称意識高い学生」(笑)らしいので、彼自身は自分のことを「意識が高い学生」と定義しているようです。それがどうかは別として彼なりの学生観がここに書かれていてとても興味を持ちました。


彼は最初に「自分の日常を語れる大学生が少ない」と説いています。

バイトとか飲み会とかばかりで、自分の日常を自信を持って語れることはないと思う。もちろん、コンビニ、飲食店や居酒屋のバイトすることで、ある種の縦社会の経験はできるという反論はあるでしょう。だが、貴重な大学生という最後のモラトリアム期間をそれに消費するには明らかに費用対効果は悪いように感じる。


さてまずここで考えなければいけないのは (1)アルバイトが「費用対効果は悪い」のかということ (2)日常に自信を持っているかどうかは発言だけではわからないということです。

アルバイトと一言で言っても様々なものがあります。接客業ならばコミュニケーション能力、特に見知らぬ他人と接することができるまたとない機会ですし、大学生に人気の塾講師であれば生徒が理解できるように自分の言葉で説明をする訓練ができるでしょう。その他にも何らかの能力を伸ばすことができる面もアルバイトは持ち合わせています。

確かにアルバイトを収入のためのものとしてしか捉えていなければ、彼のように「費用対効果は悪い」と感じるかもしれません。実際、勉強の時間を削ってお金を稼いでいるわけですから。しかしアルバイトとはお金を稼ぐことができる上に、社会経験というものが得られます。

どれだけ閉鎖的な仕事であっても自分より年上の人々と何らかの形でコミュニケーションを取ることはどの仕事にでもあることです。これがそれまで同年代としか付き合ってこなかった大学生に大きなプラス要素となっていくのです。

では次に、日常に自身を持っている学生が少ないのかを考えてみたいと思います。筆者である牧田さんは、学生が日常に自信を持っているかの判断基準を発言に置いています。

しかし日常に自信を持っているかどうかは発言だけからはわかりません。自信を持っている=意識高いと思われるのを嫌がって具体的な所にまで踏み込まずにいるのがサイレント・マジョリティーでしょう。

そもそも自信を持たずとも日頃から自分の将来と向き合いながら活動をしている学生を私は沢山知っています。勿論自分の行動のひとつひとつに自信がなければ仕方がないのでしょうが、自分の日常に対して自信を守るというのはそれなりのハードルがあるようにも感じます。

確かにそこまでいけば「意識が高い」のは間違いないでしょうが、それはほんの一握りの人を指しているに過ぎません。


<<引用>>
ihayato.書店 "[寄稿] 「何でもっと自分の人生のこと考えないの?」by 他称意識高い(笑)大学生・牧田凌平"