TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

被災地にすべきことは何なのか

Message from a tsunami-victim

震災から2年が経った。各メディアでは被災者の生活実態や原発事故について報道されているが、支援者についてはあまり多く語られることはない。そこで今日は被災地以外の場所に住む人々、つまり非被災者が被災地に向けて何をすれば良いのかを考えていこうと思う。

ところで私は昨年の夏、初めて被災地である宮城県石巻市に入り、1週間の間小学校の泥かきや漁師さんの手伝いなどを行った。一般的には1週間もの間被災者に入ることのできるプランはなかなかなく、当時にしては珍しいもので私は勇んで東北の地に入っていった。


ニュースでは当時石巻という地名をよく耳にしていたから本当に被害が酷い場所なのだということはよくわかっていたのだが、実際に入ってみるとかなりの部分で表面的には復旧が進んでいて驚いた。

私は何もかもが壊れている姿を想像していたものだから、実際にバスが石巻についてみると「え?ここ?」という思いを抱かずにはいられなかった。確かに表面上は被災当時よりもかなり整備されていたしある程度機能もしているように感じた。しかしその後、あるひとつの問題に気がつき始めた。

それは、仮にこのまま順調に復旧が進んだとしても、その後街がどのような状態になっていくのかわからないということだ。つまりこのまま支援が引き上げて住民だけが残されたら、彼らはそこからどのように這い上がっていくのか疑問に思ったのだ。

被災者自信が力不足だと言っているのではない。むしろ被災者の方々は東京の人々よりも余程強靭な精神力でこの災害を乗り越えただろう。ここで言いたいのは、東北という地が「もう支援は要らない」と解釈されることで、人々が関心を持たなくなるのではないだろうかという思いだ。

魚屋、服屋、レストラン等お店は本当に沢山ある。東京の人の舌にもあった素晴らしい料理や名産は沢山ある。しかし一旦復旧が終わってしまえば、自分達の役目は終えたといって無関心になる人々が増えるのではないだろうかと思う。

その無関心によって震災の存在自体が風化していき、長期的な支援が滞ってしまう可能性すらあるだろう。よく言われるのは「忘れらることが一番恐ろしい」ということだが、まさにそのことだ。

また復興に必要なのは被災地への経済的な資金注入だけではない。ボランティア団体の活動継続も必要なのだ。支援活動をしている人々は本当に熱意があるし人間のことが大好きな人ばかりだ。しかしいくらそういう人がいても、経済的な支援がなければ支援者自体が活動することもできない。そういった良心あるボランティアが動いていくためにもお金は必要なのだ。

よく言われることだが、愛だけでは地球は救えない。お金があってはじめて事は動き始めるのだ。募金という行為は被災地支援という面ではとても有効なのに、「実際に活動に入ることからの逃げではないか」と自責の念に駆られる人がいる。しかしそんなことはない。支援すること自体に意義があるのだと思う。

復旧は一刻も早く行われるべきだ。それと同時に如何にして観光客や被災地以外の人々に継続的な支援の必要性を訴えるか。これは日本全体が考えなければいけない問題だろう。


▼震災直後にボランティア活動を長期にわたって行った方による本。震災直後の現地の様子について詳しく書かれています。支援に行った人もまだの人にもオススメ。