TIME before 55

頭良くないし機転も利かない。でも夢の大きさは誰にも負けない。

課金ゲームと寄付は似ている

Angry Ornithologist

こんにちは。課金ゲームと寄付には似ている要素があるように思いました。

まず課金ゲームとは何か。僕自信小学生以来ゲームを殆どしない人間なのでゲームの情報に関してはとても疎いのですが、例えばスマートフォンやネットのゲームによくあるようなお金を投入することでコインが溜まったり武器が帰るようになるあのゲームのことです。

ああいったものと募金活動等への寄付行為は同じ要素があるのではないかと思いました。というのも「はてな匿名ダイアリー」に投稿されたある記事を見て気が付きました。


お金を払って対価を得るというのが基本だと思っています。払った金額に対して、得た物の価値が低く感じると、私はとても残念な気持ちになるのです。
課金ゲームというものは、払った金額に対して、得るものといえば、ポイント?みたいなものでしょ? よくわからないのです。ゲームによって違うのかもしれないですが、課金するとコインが増えると仮定しましょう。
それって、携帯の画面で数字が増えるだけってことですよね? お金を払ってまですることなのですか?
そもそも、ゲームにあけくれて、クリアーしたい一心で課金しまくる人というのは、何がしたいのでしょうか?
私が思うに、ゲームをクリアーするという達成感を味わいたいのではないでしょうか? つまり、現実世界で何かをやり遂げた経験が少ない、もしくはやり遂げられる自信がないのではないでしょうか?
ゲームの世界なら、金さえ積めば、プレイヤーの攻撃力があがりコインが増える。そして、強いドラゴンみたいなものを倒せる。自分がヒーローになれる。
でも現実世界では、自分は何ひとつやり遂げることができない。やり遂げた経験がない。
そういう人が多いのではないでしょうか?



要するに価値観の違いだと言えばそれまでです。しかしここではもう一歩進めて考えてみようと思います。

多くの人々はこの記事の筆者がいうように「お金には対価が伴うもの」として認識していることでしょう。モノを買う、サービスを受ける。全てには金銭が必要になりそれによって対価を僕達は得ているのです。

では課金ゲームの場合はどうか。お金を投入してもコインや武器がもらえるだけで何もありません。いや一般人にとっては「何も」なのでしょう。つまりゲーマー達にとっては対価とはコインや武器なのです。つまり触れることはできないものにも彼等は価値を見出していることになります。

これでもうお分かりになりましたね。一般人とゲーマーの間にどのような認識の違いがあるのか。それは自分の生活・人生にとって損か得かではなくて充足感があるかないかによってお金を投入するかしないかを考えているのです。


これは慈善行為にも共通した部分があります。お金を直接動かす形で言えば寄付行為です。体を動かす例で言えばボランティアでしょう。

募金箱にお金を入れた所で募金者には何の見返りもありません。日本赤十字社献血ならばお菓子くらいは貰えますが、寄付には本人にとっては何のメリットもありません。赤い羽根募金であっても赤い羽根がもらえるだけです。あれが生活のためになるかといえば何の役にも立ちません。

では彼等はそれでもなぜ慈善行為をするのか?それは困っている人を助けてあげたいという気持ちや目の前の自分をジレンマに陥らせているものをお金で解決することに寄って充足感を得ようとするからです。

もちろんすべての人々が充足感を得るために募金やボランティアをするわけではありません。そういった人々はできれば少数であるほうが活動の継続性はあるのですが、そこまで長く考えている人はそこまで多くはないかもしれません。

そう考えると、充足感を得るためにコインを投入する課金ゲームとお金や体を使う慈善活動は共通する部分を持っているとは思いませんか?

で、この記事で何が言いたいかというと今後は対価を求める形ではなく充足感を得られるサービスが世間の支持を得ていくだろう。ということです。

以前これからは「承認欲」がネットサービスの主流になると予言しましたが、これも似ています。承認欲とは他人に自分の存在を認めて欲しいとする感情ですが、目に見える形ではなく精神的な充足感を与えるサービスが人気になっていくでしょう。

なぜならモノを買うときにでもそれに満足しなければ次回買う可能性は低いのです。一方、充足感のみにターゲットを絞った商品・サービスは直接消費者の心に訴えかけ、購買欲を効果的に引き出す力があるように思えます。

モノで満足させるのではなく心で満足させる商品。これが今後の時代には求められて来るのではないでしょうか?